芸能人の伝説キャッチフレーズ②
「エロ・テロリスト」インリン・オブ・ジョイトイ
台湾出身のインリン・オブ・ジョイトイ。セミヌード写真集の大胆なM字開脚ポーズで一時期ブレイクした。
自ら「エロ・テロリスト」と名乗り、バラエティ番組やグラビアなど幅広く活動していたが現在は台湾で活動しているようだ。
「九州から大型台風上陸」チャゲ&飛鳥
チャゲ&飛鳥は1979年にシングル「ひとり咲き」で衝撃デビュー。キャッチフレーズは他にも「熱い喉が衝き叫ぶ!」がある。
デビュー当時のチャゲ&飛鳥は、今では考えられないが演歌風なフォークソングを歌っていた。
「いなかもんばい」福山雅治
福山雅治は1990年にシングル「追憶の雨の中」でデビュー。長崎から務めていた会社を辞めて上京したことからこのキャッチフレーズとなったようだ。
翌年にはTBSドラマ「あしたがあるから」で俳優デビューをすることで大注目されることになる。
「ちょっとおちゃめでセクシー乙葉」乙葉
2005年にお笑い芸人の藤井隆と電撃結婚をしてからはテレビの出演数が大幅に減ってしまった。当時はグラビア活動を中心にFカップのムッチリボディーを売りとして人気絶頂だっただけに残念であるという声も多かった。
現在では、たまにテレビ出演している。
「胸騒ぎ、ザワ、ザワ、ザワ」小女隊
1984年にレイコ、ミホ、チーコの3人がオーディションによって集結され少女隊。当時はAKB48並に人気のあった彼女たち。
キャッチフレーズのザワ、ザワ、ザワだが漫画「カイジ」の「ざわざわ...」と同じ意味かは不明だが、こんな昔からあったと驚き。
「鬼、走る」鬼束ちひろ
2000年にデビューした鬼束ちひろは、独特な歌い方でたちまち人気歌手に。なぜキャッチフレーズが「鬼、走る」のなのかは不明。大ヒットシングル「月光」は高校を卒業後、上京して直ぐに作られていたそうだ。
ちなみに鬼束が影響を受けたミュージシャンは米米クラブやBz。
「埼玉のサザン」大事マンブラザーズ
1990年に大事MANブラザーズバンドを結成以来、1996年までの6年間を活動した人気バンドグループ。あの大ヒット曲「それが大事」をボーカル立川は「曲がモンスターのように一人歩きしていく」というほど売れた。
しかし、世間的には一発屋の印象が強い。
「九州最後のスーパースター」甲斐バンド
1974年にシングル「バス通り」でデビューした甲斐バンド。当時、井上陽水やチューリップなどビックスターを生むのが博多中心だったこともあったが「九州最後」と言い切ってしまうのが凄い。
芸能界でも甲斐バンドのファンは多い。