芸能人の意外な前職を暴露③
竹内力の前職は銀行員
銀行に勤めていた時代から派手なスーツで出勤していた竹内は上司によく注意されていたらしい。仕事をしっかりとこなしていた竹内は社内の評判は良かったようだ。
夏木マリの前職は保育士
高校時代は池袋で名の知れたスケバンだったという夏木。芸能界デビュー後はセクシー路線だったので保育士というイメージは薄いが子供好きのようだ。林原めぐみの前職は看護師
中学3年生のとき、林原の父が下半身不随だったことから看護師を目指すことになる。しかし、声優になる夢があった林原は平日を看護学校へ通い、週末は声優を学ぶという生活を送りながら看護師免許を取得した。声優として売れるまでは看護師の仕事を両立していたようだ。
磯野貴理の前職は銀行員
地元の三重県内の信用金庫で3年間を真面目に働いていたという磯野。ちなみに珠算は1級の腕前らしい。タモリの前職は保険外交員
早稲田大学を除籍処分となったタモリは福岡に帰郷。その後、福岡の朝日生命の保険外交員として働くことになる。成績はトップクラスで優秀だったようだ。さらにボーリング場の支配人や喫茶店のマスターなどを経験し再び上京することになる。
ビートたけしの前職はタクシー運転手
明治大学に入学したビートたけしは大学2年生の時に通訳になることを決意。留学費用を稼ぐため、タクシー運転手として働くことになるが半年で辞めて大学も除籍処分となっている。高田純次の前職は宝石鑑定士
東京デザイナー学院出身の高田純次。結婚が早かったので劇団に入りながら宝石販売店で働いていた。鑑定士の資格を持っていたので給料もそれなりにあったようだが劇団「東京乾電池」を立ち上げの時に退社することになる。
稲川淳二の前職は工業デザイナー
稲川淳二といえば怪談話やリアクション芸人のようなイメージが強いが本職は工業デザイナー。若いころはスズキ自動車などの特殊ボディのデザインを担当したこともある。
また1996年には通商産業省グッドデザイン賞を受賞している。
大桃美代子の前職は銀行員
短大卒業後に埼玉銀行(現在の埼玉りそな銀行)に就職した大桃。しかし、将来の進路に疑問を持つようになり、親戚の反対を押し切って約1年で退社している。坂本冬美の前職は梅干し工場
高校卒業後、和歌山県内の梅干し工場で納品前の塩分チェックという地味な仕事をしていた坂本。紀州の南高梅以外は食べないというほど梅干しにはうるさいらしい。ちなみに梅干し工場は1年で退社している。
藤井フミヤの前職は国鉄職員
チェッカーズでデビューする直前の1年間だけ国鉄(現在のJR九州)職員だったというフミヤ。鳥栖駅と早岐駅の区間で勤務していた。ちなみにお父さんも国鉄職員。田中要次の前職はJR東海社員
国鉄時代から8年8ヵ月8日目で退職したという田中。国鉄の民営化に伴いJR東海の社員となった田中は大阪府駅などに勤務。週末に映画サークルなどの交流を深める中で俳優の道へ進むことになる。
哀川翔の前職は雑誌ライター
哀川が専門学生時代に雑誌ポップティーンのアルバイト記者として働いていた。ペンネームは「ロンリーリバー」で自分のコーナーを持ち、自身がモデルとなることもあったのだとか。堂珍嘉邦の前職はテレビ局のAD
高校を卒業して地元の広島テレビのアシスタントデレクターとして勤務していた堂珍。お坊ちゃま育ちの堂珍は病弱で仕事をよく休み、要領が悪いADだったと自身が語っている。その後、ASAYANのオーディションに合格し芸能界へ。徳永英明の前職はあさりの行商
歌手デビューする前に「マタカ物産」という会社を立ち上げていた徳永。アサリをメインとした珍味を上野近辺で行商していたようだ。しかし、1ヶ月半の売上が1,600円だけで、あえなく廃業となった。
中島美嘉の前職はマクドナルド店員
中島は上京前に鹿児島のマクドナルドでアルバイトをしていた。お客から「スマイルください」の注文に対して中島は無視してた(笑)と語っている。他にモスバーガーやモデルなどのアルバイトも経験している。中川家礼二の前職はリコー社員
中川家の礼二は芸人としてデビューする前にリコーの社員として働いていた。営業マンとだった礼二はトップ賞を受賞したことがあるという。安藤優子の前職はエレベーターガール
夕方の報道番組などでお馴染みの安藤優子。その昔、渋谷パルコのエレベーターガールとしてアルバイトを経験している。英語が堪能だった安藤は外国人のお客と話をしていたところをテレ朝のプロデューサーにスカウトされたという。
宮川花子の前職は大阪府警察官
高校卒業後、宮川花子は婦人警官として大阪府警の城東署交通課に勤務している。ちなみに旦那の宮川大助は大手三菱電機社員である。